<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>HBS-Network blog</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/" /><modified>2011-05-03T21:05:13+09:00</modified><tagline>HBS-Network編集部＆海外特派員によるエッセーやレポート etc...</tagline><generator url="http://jugem.jp/">JUGEM</generator><entry><title>本年もよろしくお願いいたします</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=63" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=63</id><issued>2009-02-17T23:56:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:23:15Z</modified><created>2009-02-17T14:56:00Z</created><summary>本年もよろしくお願いいたします。</summary><author><name>HBS master</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[本年もよろしくお願いいたします。]]></content></entry><entry><title>お知らせ　</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=60" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=60</id><issued>2008-05-27T21:11:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:23:58Z</modified><created>2008-05-27T12:11:00Z</created><summary>お知らせ
 
２００４年から今日まで、ブログを書かせていただいてきましたが、&quot;makiのイタリア通信&quot;は、今回を持ちまして終了させていただくことになりました。
いつかまた、違う形でイタリアでの日常の出来事を書き続けていきたいと考えております。
今まで、お付き...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[お知らせ<br />
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２００４年から今日まで、ブログを書かせていただいてきましたが、"makiのイタリア通信"は、今回を持ちまして終了させていただくことになりました。<br />
いつかまた、違う形でイタリアでの日常の出来事を書き続けていきたいと考えております。<br />
今まで、お付き合いいただきましてありがとうございました。<br />
 <br />
 <br />
ヴァレンティーニ・福岡　麻樹<br />
]]></content></entry><entry><title>口論好きイタリア人</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=59" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=59</id><issued>2008-04-10T19:45:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:24:11Z</modified><created>2008-04-10T10:45:00Z</created><summary>　　

　イタリア人の口論を聞いていると彼らの右に出るものはいないと、イタリア人の才能には関心してしまうことがしばしばある。
　イタリアに移り住んで間がないころは、マッシー（主人）と彼の母親との日常の会話が、私には喧嘩腰にしか聞こえなかった。
　私は、...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080410_497689.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
<br />
　イタリア人の口論を聞いていると彼らの右に出るものはいないと、イタリア人の才能には関心してしまうことがしばしばある。<br />
　イタリアに移り住んで間がないころは、マッシー（主人）と彼の母親との日常の会話が、私には喧嘩腰にしか聞こえなかった。<br />
　私は、てっきり私のことが原因で親子が喧嘩をしていると思い込み、罪悪感からよく影で泣いていたことは以前にブログの中で触れたと思う。<br />
　娘の小学校入学のための学校での説明会の場でも、弁論の才能は先生と保護者、又は保護者同士で大いに発揮されているところを見聞きすることになった。<br />
　黙って学校側の説明を受けていたら３０分足らずでとっくに終了しているものを、激しい言葉のやり取りで３時間という無駄な時間が流れていくのだ。<br />
　先週、こうしたイタリア人の口論を日頃見聞、観察し続けてきた成果が問われる時がやってきた。<br />
　我が家は昨年から、いろんな事情で送迎に学校のスクールバスを利用している。<br />
　家の前の通りのもう一本先の通りまで、大人の足で途中畑をまたいで１２分ほど離れた、指定されたバス停に子供たちを朝は７時半に車で送っていき、帰りは徒歩でそこまで４時半に迎えに行っている。<br />
　このスクールバスが私たちの子供たちを乗せずに、それも定刻時間前に出てしまったのだ。<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080410_497688.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
　<br />
　車のスピードを上げ、前方に見えてきたスクールバスに、クラクションを鳴らしながら追いつき、バスを停止させて、子供たちをバスに乗せることができた。<br />
　引き返すため車を走らせようとすると、同じバス停から乗る女の子とその父親が必死にバスを追いかけて走ってくるではないか。<br />
　この姿を見た時に頭のせんが“プッツン”と切れた。この女の子をも待たずに通り過ぎるなんて。<br />
　私はこの親子をすぐさま私の車に乗せ、再び件のバスを追うことになった。<br />
　助手席に座った女の子の道案内でどうにか次のバス停で追いつき、クラクションを派手に鳴らしながら停車。<br />
　苛立ちの感情を抑えることなく、女の子の父親と共にここぞとばかりに口論に及んだのだ。<br />
　でもさすがに、こういう類の口論は身に良くない。その日中、ずっと胃がチクチクして痛かった。<br />
　イタリア人は感情を隠すことを知らないというか、状況や立場に関係なく、自身の言いたいことをはばかりなく披露する。それも、自分の意見が間違っておろうとなんであろうと無理やりにそうするのである。<br />
さればこそ、イタリア人は日本人ほどストレスを溜め込まずに日常生活を送れるのかもしれない。<br />
]]></content></entry><entry><title>ピアノのレッスン</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=58" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=58</id><issued>2008-03-25T17:44:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:24:24Z</modified><created>2008-03-25T08:44:00Z</created><summary>　娘が３月に入り、ピアノを習いたいと言い出した。きっかけは、家にあった小学校一年生用の音楽の教科書。
　マッシー（主人）が週に二回ほど、仕事が終わったその足で合気道の道場へ通ってい　て、午後８時からのレッスンを受けて帰宅は午後１１時近くになる。
　マッ...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　娘が３月に入り、ピアノを習いたいと言い出した。きっかけは、家にあった小学校一年生用の音楽の教科書。<br />
　マッシー（主人）が週に二回ほど、仕事が終わったその足で合気道の道場へ通ってい　て、午後８時からのレッスンを受けて帰宅は午後１１時近くになる。<br />
　マッシーには帰宅してすぐに、“チン”して温めて夕食が取れるよう、おかずを準備しておき、わたしたちは子供たちとさっさと夕食を済ませ、いつもより早く寝床。<br />
　そんな夜は、子供たちを寝せる前に、子供たちにそれぞれ一冊ずつ読ませたい日本語の　本を選ばせ、私が本を読んで聞かせるのだ。<br />
　ある夜、娘は頂き物の小学校一年生用の音楽の教科書を選らんできた。本の中のいろんな歌を歌って聞かせると、『ぶん　ぶん　ぶん』（作詞村野四郎/ボヘミア民謡）が一番気に入ったらしく、次の日からおもちゃのピアノラで自己流に弾きだしたのだ。<br />
　わたしたちは娘に、「ピアノ、習う？でも、一度自分から習うと言ったら三日坊主じゃだめよ。続けなきゃ。」<br />
　<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080327_492114.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
　イタリアの小学校、中学校は日本のようにバレーボール、サッカー、跳び箱、縄跳び、水泳、バスケットなどのバラエティーに富んだ体育の授業が少ない。それも週に２時間程度。<br />
　そのためか、イタリアの親たちは子供たちにスポーツの習い事に通わせているところが少なくない。さすがCALCIO（カルチョ）、サッカーの国、圧倒的に多いのがやはりサッカー。<br />
　我が家も昨年から娘に何か習い事をさせようと、クラシックバレーの教室に週二回通わせ始めたのだが、３ヶ月ほどでもう通いたくないと言い出したのだ。<br />
　途中で何事も簡単に放り出してはだめだと、なだめすかしながらなんとか一期間、通わせて終了することができた。<br />
　そんなことが過去にあったものだから、今回は娘から習いたいと言い出しても慎重に対応。しばらく娘の様子を見ていると今回はどうも真剣らしい。<br />
　中古のピアノをローンで購入し、日本人の先生に月に二回、レッスンを受けることになったのだ。<br />
　実はわたしは、ピアノが弾ける人に一種の憧れを持っていた。マッシーも私と同じように憧れを持っていたなんて、娘のためにピアノを購入する時に判明。<br />
　お互い幼少の頃、ピアノに憧れを持っていて、習いたい気持ちがあったのだ。でも、３５年ほど前は、今のようにピアノがそう簡単にだれでも買えるような身近な存在ではなかった。<br />
　子供たちには弾けるようになってほしいというエゴとまではいかないが、私とマッシーにはどこかそんな思いがあり、娘がピアノを習いたいと言ってきたときには正直、「どうぞ、喜んで。習ってください！」という気持ちでうれしかった。<br />
　娘はただ今、ピアノのレッスンを２回終え、今のところ楽しんで弾いている様子。<br />
　義理の父に、「昨日の夜、ジュリア（娘のイタリア名）が、ピアノの練習をしてたね？」<br />
と聞かれ、「いや〜、あれはわたしでした。」と一瞬ドキッとして返事。<br />
　無意識に、音符も読めないレベルの私がピアノに向かって娘より真剣になって弾いている。そういう私に気つ゛いたことだった。<br />
　娘に、「一度習うと決めたんなら、止めちゃだめよ。」と逆に言われないよう、わたしも３４歳の手習いで娘についてピアノを教えてもらおう。と真剣になっている今日この頃だ。<br />
]]></content></entry><entry><title>お知らせ　（H.B.S in Italy）</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=57" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=57</id><issued>2008-02-25T16:40:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:24:35Z</modified><created>2008-02-25T07:40:00Z</created><summary>　

本門佛立宗、香風寺イタリア別院（親会場）のご参詣日

日本から、本門佛立宗のご信者さんが、仕事で、観光でとイタリアへいらした機会に親会場へのお参りを希望される方のためにもご参詣日と時間帯をお知らせいたします。

月曜　　午後7時半〜
火曜　　午前8...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080225_480974.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
<br />
本門佛立宗、香風寺イタリア別院（親会場）のご参詣日<br />
<br />
日本から、本門佛立宗のご信者さんが、仕事で、観光でとイタリアへいらした機会に親会場へのお参りを希望される方のためにもご参詣日と時間帯をお知らせいたします。<br />
<br />
月曜　　午後7時半〜<br />
火曜　　午前8時半〜　　　午後9時〜　　　　（一日2回）<br />
水曜　　午後7時半〜<br />
木曜　　午前8時半〜　　　午後7時半から　（一日2回）<br />
金曜　　午後7時半〜　<br />
<br />
※原則的に土曜、日曜は地方でのご奉公や特別行事のため閉めております。イタリアの諸事情を考えまして、大変申し訳ないのですがご連絡のないお参詣はご遠慮いただきたいと思います。<br />
こちらのEメールアドレス　hbs.maki@gmail.com へお問い合わせください。よろしくお願いいたします。<br />
]]></content></entry><entry><title>お葬式 (il funerale フネラーレ)</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=56" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=56</id><issued>2008-02-14T18:46:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:24:48Z</modified><created>2008-02-14T09:46:00Z</created><summary>　小雨の降る中、先日お葬式に出席してきた。亡くなられたのは知人Ｋさんのご主人Ｐさん、病気での他界だった。イタリアでのお葬式は、実は私にとっては今回が初めての経験。
　教会へ葬儀開始の１５分前に着くと、入り口付近は１００人ほどの参列の群れでごったがえして...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　小雨の降る中、先日お葬式に出席してきた。亡くなられたのは知人Ｋさんのご主人Ｐさん、病気での他界だった。イタリアでのお葬式は、実は私にとっては今回が初めての経験。<br />
　教会へ葬儀開始の１５分前に着くと、入り口付近は１００人ほどの参列の群れでごったがえしていて、その中にやっと、Ｋさん、お二人のお子さんたちの姿を発見。<br />
　人ごみを掻き分けて、なんとか彼らに近つ゛けたものの、いざ彼らを前にして、「お悔やみの言葉、イタリア語でなんと言うんだろう？」と言葉がとっさにでてこなかった。<br />
　結局、こちら式の挨拶、握手を交わしながら、両頬にキスをして、無言の挨拶をした後、教会へ入っていった。<br />
<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080214_476795.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
　葬儀は、神父が死者へのお祈りをして一時間ほどで終了。その間、仏教徒の私は、家から持参したお数珠を手に持ちながら、心の中でお題目をお唱えさせていただいていた。<br />
　葬儀が終わってすぐに私は、Ｐさんが眠っている立派な棺の前に立ち、お数珠で両手を合わせて、「ムシライホウボウザイショウ・・・・・、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」と声を出して言上させていただいた。<br />
　私のこの行動を不思議に見ていた参列者もいたが、私自身は、個人的にＰさんとちゃんと御題目でお見送りができ、内心嬉しく、ほっとしていた。<br />
　お葬式には、私の子供たちは義理の母が預かってくれることになり、私と一緒に連れては行かなかったが、６歳、４歳になる子供たち、特に６歳の娘はすでに、“死”というものを意識している。<br />
　今年早々、マッシー（主人）がエジプトに７日間の出張で留守をしているときのこと。子供たちと同じ部屋に一緒に居たときに、たまたまニュース番組をつけていた。その中で、「昨夜、エジプトの○○で、観光グループが乗るバスが横転し、イタリア人観光客２名が死傷・・・」とうニュースが流れた時の事。<br />
　子供たちもこのニュースを聞いていて、「エジプトだって。パパがいまいるところでしょ？」と聞いてきたので、「うん、そうよ。昨日、イタリア人女性が一人バスの事故で亡くなったんだって。」と説明すると、子供たちは一声に、「え！パパは死んじゃったの！？」と今にも泣き出しそうな不安な顔で聞かれ、「ちがうの。パパは元気よ。この事故は昨日起こったの。今日、パパから電話あったでしょ？。」と補足すると子供たちはやっと元気に。<br />
　娘は特に、６歳になってから“死”について、いろいろと質問をしてくるようになってきた。人はどうして死ぬのか、死んだらどうなって、どこへ行ってしまうのかなど。<br />
　この前もマッシーに、「パパが先に死んじゃったら、わたしはどうやって一人で学校へいったり、ごはんを食べたりするの？ひとりで生きていけないよ。」と質問しているのには、びっくり。　　　　　私が娘の年齢の頃、そんなこと考えたこともなかったような気がするけれど。<br />
　昨夜の夕食時、子供たちとまたひょんなことから、“死”の話題になり、私はこう説明した。「人はね、生まれたらいつかはみんな死ぬの。赤ちゃんで、死んじゃうこともあるし、おじいちゃん、おばあちゃんになってから死ぬこともあるの。病気や事故とかでもね。で、死ぬとまたいつか生まれ変わるの。でも、人に優しくした人は、今度生まれてくるときには、今より楽しく暮らせるし、人を傷つけたり、悪口を言ったりしてたら、今より楽しく暮らせないの。」と。<br />
　子供たちはなんだか、わかったようなわからないような半信半疑の様子で、「ふ〜ん。」と頷いていた。<br />
　葬儀中、二人の女性が籠を手に持って回りながら、参列者は、その籠に小銭を入れていたのを見て、わたしはてっきりお香典と解釈。<br />
　隣の友達にいくらぐらいさせてもらえばいいか聞くと、「気持ちでいいのよ。」との返事。財布の中を見ると、小銭しか入ってない！私も持ち合わせの小銭を籠に入れたのだが、その後すぐに、実は教会への寄付金とわかり、そうとわかっていればパスしたものを、入れたのが小銭でまだしもよかったと釈然としない気持ちで教会をあとにしたことだった。<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>郷に入らば、郷に従え</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=55" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=55</id><issued>2008-01-12T17:48:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:25:00Z</modified><created>2008-01-12T08:48:00Z</created><summary>　昨年のクリスマスは例年のごとく、家族、親戚が３０名ほど集まってのにぎやかなクリスマスパーティー。　イタリアでは、ほとんどの家庭が家族、親戚が集まりお祝いする。
　そして、午後８時半から始まった夕食は、だらだらと午前１２時頃まで永遠に飲んで食べて、日付...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　昨年のクリスマスは例年のごとく、家族、親戚が３０名ほど集まってのにぎやかなクリスマスパーティー。　イタリアでは、ほとんどの家庭が家族、親戚が集まりお祝いする。<br />
　そして、午後８時半から始まった夕食は、だらだらと午前１２時頃まで永遠に飲んで食べて、日付けが２５日に変わった瞬間、一斉にプレゼントの交換が始まる。<br />
<br />
<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20080112_465163.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
　逆に３１日の大晦日は、お友達と、家族と、あるいはごく気の会う仲間と内輪で過ごし、新年を祝うのだ。<br />
　私たちは、２００７年の大晦日をマッシー（主人）の弟家族、共通の友達たちと過ごす予定だったのだが、クリスマス前から風邪を引いていた子供たちの体調がクリスマスで悪化。年末に良くなったと思った矢先、マッシー、私も風邪がうつってダウン。<br />
　マッシーは、２日間で良くなったものの、私は３０日の夜から４日間、高熱にうならされる羽目になり、４０．６℃まで熱が上がったときにはちょっと焦った。<br />
　今はすっかり回復し、新年を躓いてスタートを切ってしまった観があるものの、今年も目標を持って気持ちを新たにイタリア生活８年目を過ごしていこうと思っているところ。<br />
　イタリアでの生活が７年を過ぎ、ようやく最近“イタリア”という国がみえてきたような気がする。<br />
 最近、イタリア人のアニメーション作家、ブルーノ・ボゼット（Bruno Bozzetto）のＦＬＡＳＨア二ーションの１９９９年の作品、『Europe ＆Italy』を見て感銘し、げらげ<br />
らと腹の底から笑ってしまった.<br />
<br />
http://jp.youtube.com/watch?v=H2VDSHkS5tU<br />
<br />
 ユーモアたっぷりに表現されていて、とても気に入ってしまった。是非、見ていただきたい。私の表現したい“イタリア”の一部分が描かれています。<br />
「住めば都」というけれど、まだまだ修行が足りないのか、そう感じるには程遠い心境。今年の目標を変えようかな？]]></content></entry><entry><title>スト！スト！スト！</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=54" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=54</id><issued>2007-12-17T20:50:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:25:13Z</modified><created>2007-12-17T11:50:00Z</created><summary>　ここイタリアでは日常茶飯事と言っても過言ではないほど特に、電車、バス、アリタリア航空などの交通手段のストが多い。
　先月末、過去25年で最大規模の交通機関のストが実施されたというのに、今月10日の月曜日には全国７つのトラック運転手の組合が5日間のストに突...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　ここイタリアでは日常茶飯事と言っても過言ではないほど特に、電車、バス、アリタリア航空などの交通手段のストが多い。<br />
　先月末、過去25年で最大規模の交通機関のストが実施されたというのに、今月10日の月曜日には全国７つのトラック運転手の組合が5日間のストに突入した。<br />
　その理由は、原油価格高騰に伴う燃料価格上昇や過当競争に抗議するもの。<br />
　確かに運転手の気持ちはよくわかる。車に使う燃料費が異常にかかるのだ。我が家でも、車の月にかかるガソリン代だけで３００ユーロを超える。我が家の月収入のかなりのウエートを占める額である。<br />
　この5日間のストの初日は、渋滞が当たりのローマがさらに大渋滞。ガソリンスタンドへガソリンを満タンにしようと一気に押し寄せ、長蛇の列。<br />
　主要な高速道路をトラックが集団で閉鎖したり、低速運転をしながら妨害したため、大渋滞を起すことにもなる始末。<br />
　さすがに、これは警察に罰金を切られる前に二日足らずで止めたもの、なんともイタリアらしいというか、なんというか。<br />
　今回のストで私たち市民が一番困ったのは車の燃料が切れたこと。スト初日の午前中に早くも、あちらこちらのガソリンスタンドではガソリンが底をついてしまった。我が家でも車のガソリンの残量は四分の一を切っていて、金曜の夜に満タンにできるまでの間はらはらした。マッシーは、そのおかげで数日間、いつもの半分も仕事がこなせなかった。<br />
　大型スーパーの棚からは生鮮食品が姿を消して行き、萎れた野菜なんかも残らずに売れたとか。幸い、わたしたちはお肉、野菜、果物なんかをマッシーの経営する化粧品店の前の市場までいつも買いに行くことができた。この市場の生鮮食品などは、流通ルートがちがうようで、いつものように活気があった。<br />
　こんな状況にも関わらす、周りのイタリア人の行動は日頃のストの“慣れ”からか、いたって冷静。<br />
　さすがに、スト3日目から町の渋滞はぱったり消えた。車の燃料がないんじゃどこへもいけない。車の運転を仕方なく控えだしたためだろう。<br />
　ここはイタリア。勤め人の中には、車が出せないという理由で仕事を休んだ人も少なくないはず。<br />
　マッシーも、仕事に車は不可欠なため、スト中の数日間、いつもの半分も仕事がこなせなかった。<br />
　トラック運転手の派手なストのパフォーマンスにも、イタリア政府は、「気にしない、気にしない。一休み、一休み。」のノリなのだろうか。<br />
　それにしても、この5日間のストをなんとか凌げたものの、常習化するのは勘弁してほしい。<br />
]]></content></entry><entry><title>思ってたんと違うやん</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=53" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=53</id><issued>2007-11-18T03:34:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:25:26Z</modified><created>2007-11-17T18:34:00Z</created><summary>
「あなたのお子さんたち、お母さんが日本人だったら日本語もしゃべれるのね。」とか、「羨ましい〜。あなたの子供たち、自然にイタリア語と日本語が身についてラッキーだね。」と、いろんな方に言われることしばしば。
　そう、私も自分の子供を持つ前までは、ハーフの...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20071118_443055.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
「あなたのお子さんたち、お母さんが日本人だったら日本語もしゃべれるのね。」とか、「羨ましい〜。あなたの子供たち、自然にイタリア語と日本語が身についてラッキーだね。」と、いろんな方に言われることしばしば。<br />
　そう、私も自分の子供を持つ前までは、ハーフの子供たちを見ると単純にそうだと思っていた。<br />
　が、たまたま近所にイタリア人と結婚され、かわいい３人のお子さんがおられる日本人女性と知り合った時に彼女からこう言われた。<br />
　「子供たちの日本語教育は大変よ。親が相当努力しないと身に付かないわよ。」と。その当時はそんなものかなと上の空なりに、「子供ができたら日本語だけで話しかけよう！」と思っていた。<br />
　我が家の子供たちは、彼らが幼稚園に入る3歳ぐらいまでは保育園には預けず、私と子供たちはほぼ自宅で24時間一緒。義理の両親、知り合い、だれの前でも子供たちに話しかけるときは日本語で通してきた。<br />
　「まき、今、子供になんて話しかけたんだ。僕らにはわからないじゃないか。イタリア語で話せよ。」と言う周囲からの言葉を何度となく聴き流しながら。<br />
　私が子供たちと接する時間が長かったせいか、子供たちから出てくる単語は日本語が確かに多かった。「おしっこ」、「ごはん」、「あそぼ」など。　<br />
　がしかし、子供たちが学校に通うようになってから一転、日本語が彼らの口から出なくなってしまった。<br />
　現在、長女は小学校一年生、長男は幼稚園二年目。家での子供同士の会話は完全にイタリア語。確かに、朝8時半から夕方4時半までイタリア語の環境、私がいくら日本語だけで話しかけても、所詮命令形の話しかけが多く、考えてみれば当然の事。<br />
　そんな子供たちだが、年に一回、日本での里帰り滞在一ヵ月は大きな意味を持つ。<br />
滞在2週間を過ぎた頃から急に、従姉弟との会話でも日本語がすらすらでてくるようになる。<br />
環境の影響はすごいもので、関西弁というより、“神戸弁”がどんどん出てくる。「ほんまやな〜」、「ちゃうで」（ちがうよ）、「いらん」（いらない）など。<br />
　この夏もこうして、神戸弁で会話ができるようになった矢先、イタリアへ帰国した途端一週間も経たないうちに日本語で話すのが困難になり、まるで旧の木阿弥。<br />
　長男はまだ小さいが、長女は今年の春から時々、日本人の家庭教師に来てもらっている。そのおかげで娘も刺激を受け、私は私で、子供と否応なしに正面から向き合うことになり、気が抜けない状況に追い込まれてしまった。石の上にも三年、続けてみようか。<br />
　それより最近、私の話していたイタリア語が、イタリア語ではなく、“ローマ弁”だったことに気が付いたのだ。<br />
　時に、私は義理の父やマッシーの仕事でお付き合いする人たちと接する機会があるのだが、わたしなりに話し方には気を配っていたつもりが、発音から何からローマ弁丸出しだったらしいのだ。<br />
　子供たちには私の二の舞を踏ませないようにしないと。といっても“神戸弁”以外の日本語を習う機会は極めて限られているのだが。]]></content></entry><entry><title>老後設計</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=52" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=52</id><issued>2007-10-13T04:13:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:25:38Z</modified><created>2007-10-12T19:13:00Z</created><summary>　　
　
　主人の父方の両親は、現在どちらも84歳で健在。ローマから約30キロ南に位置する田舎で2人質素な暮らしをしている。
　祖父のバリッラは、5人兄弟の下から2番目として生まれ、わずか4歳の時に母親を亡くし、母の愛情を知らず、苦労して育った。
　祖母のフェ...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　　<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20071013_429068.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
　<br />
　主人の父方の両親は、現在どちらも84歳で健在。ローマから約30キロ南に位置する田舎で2人質素な暮らしをしている。<br />
　祖父のバリッラは、5人兄弟の下から2番目として生まれ、わずか4歳の時に母親を亡くし、母の愛情を知らず、苦労して育った。<br />
　祖母のフェルナンダは7人兄妹の一番上。13歳の時から、ろくな教育も受けずに早朝まだ真っ暗な中、片道5キロ離れた所まで徒歩で仕事にでていた。<br />
　もともと、この二人はこの田舎出身なのだが、結婚した当初はローマに住んでいた。それが、ある事情で今の土地に移り住んだのだ。<br />
　今、住んでいるだだっ広いブドウ畑と、オリーブの樹が80本ほど植えられている土地は昔、祖父が努力して貯めたお金で購入した。<br />
仕事が休みの毎週日曜日になると、祖母と共にローマから植木一本なかったこの土地に来ては、徐々にぶどうの樹、オリーブの樹など、彼らの手で一本ずつ植えていったのだ。<br />
　おかげで我が家が使うオリーブオイルは無農薬の自家製。白ワインも１００パーセントぶどうを搾った汁だけで作った祖父自慢のワイン。<br />
　ただ、ぶどうの樹もいろいろと年中手入れが欠かせない。これが結構重労働なのだ。高齢の二人にとってはなおさら。<br />
　先日の早朝8時半ごろ、祖母のフェルナンダから我が家に電話が入った。<br />
『まき、おじいちゃんの様子が変なの。返事もできないし、動けないのよ。そっちから救急車を手配して！』と、相当、動揺した声だった。<br />
　早速、マッシーに救急車を呼んでもらい、なんせ田舎なものだから救急車が住所を探し当ててスムーズにたどり着くのかどうか、それにおじいちゃんの容態がちゃんと把握できていなかった不安で、マッシーは、その日の午前の仕事をキャンセルし、すぐに駆けつけて行った。<br />
　続いて、パオロ（私の義理の父、つまりおじいちゃんの息子）もマッシーの後を追うようにして出て行った。<br />
　バリッラが病院へ搬送されると、その病院には入院する空き部屋がないという事で、他の病院を探してもらい、移動、入院となる運びになる頃には、なんと夜の7時を過ぎていた。<br />
　途中マッシーは午後6時には仕事の関係で病院を出て、パオロだけが残ったが、二人ともずっとその間病院で待たされたのだ。こういう一面もイタリアらしいというか・・・・。<br />
　一週間の検査入院となり、祖母はその間、一人で家で留守番をするのは心細いということで、パオロが預かることに。<br />
祖母の滞在中、皆が家族で仕事の合間を縫って日替わりで、祖母を田舎の病院へ往復3時間ほどかけて連れてくことになった。<br />
　結局、検査結果は異常なし。その間、祖母も不体調を訴え、ローマで彼女は検査する<iが、彼女も異常なし。<br />
　こんなことが過去にもあって、わたしたちは、以前からローマに移り住んでくるよう強く勧めていたのだが、今回の事があって、やっと本気で考えてくれる姿勢を見せてくれた。<br />
　現在、義理の両親と私たちの2世帯住居で暮らしているが、祖父母たちが来ると私たち合わせて三世帯となる。<br />
　パオロは、一週間の父の入院中、母と生活してみてすでに同居は無理と感じたらしく、昨日、将来の三世帯生活についてわたしたちと家族会議の中、パオロは、両親には家の近所のアパートに住んでもらうと言い出した。<br />
　<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20071013_429066.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
　わたしは、『パパは（義理の父に私はパパと呼んでいる。）、おばあちゃんとパパの性格があまりにも似ているからね。』とニヤリとキアラ（義理の母）に私は目を向け、思わずお互いに笑ってしまった。<br />
　キアラはパオロの意見に大反対。『みんながそれどれ三世帯での同居を模索しながら、それぞれの立場で努力していかなきゃいけないでしょ！』と一言。私も『そう、そのとおり。』と即答。<br />
　確かに、フェルナンダおばあちゃんは、わたしがおばあちゃんの“昔話ベスト８”をリストアップしているぐらい、同じことばかり繰り返し、繰り返し話すし、何かと体の不調を頻繁に訴えるのだ。記憶力の悪い私もさすがにこのベスト８をばっちり記憶している。（自慢するほどのことでもないが。）<br />
　フェルナンダは趣味がないので、ローマにいた一週間は時間の使い方に困り、時々、キアラがフェルナンダに頼まれて、自分のお店に一緒に連れて行ったりもしていた。<br />
　マッシーに、『ね、私が祖母の年齢になったら、私もフェルナンダおばあちゃんみたいになるのかな？』との問いに、『何を言ってるんだ。もっとひどいよ！』その一言に目がくらんでしまったのだが、何も言い返せなかったのが悔しい。<br />
　ひとつ悲しくなるのは、祖父母の引越しと共に、手作りのオリーブオイル、ワインが飲めなくなること。<br />
　祖父母には、ローマの家の庭に畑を作ってもらって日々の趣味としてほしいと思っているのだが、どうなりますやら。<br />
　このお二人、少々の体の痛みや不調を訴えていても元気！健康って本当にありがたいことだ。<br />
　<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20071013_429067.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" />]]></content></entry><entry><title>憩いの場</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=51" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=51</id><issued>2007-10-08T17:55:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:25:52Z</modified><created>2007-10-08T08:55:00Z</created><summary>　多くの日本人の宗教に対する接し方には、外国人からみれば首をかしげざるを得ないような点が多いようだ。
　生まれた時、両親は我が子を神社へ初参りに連れて行き、結婚式はというとキリスト教の教会へ。葬式となると、実家や親戚の仏教の宗旨、あるいは、先祖代々の宗...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　多くの日本人の宗教に対する接し方には、外国人からみれば首をかしげざるを得ないような点が多いようだ。<br />
　生まれた時、両親は我が子を神社へ初参りに連れて行き、結婚式はというとキリスト教の教会へ。葬式となると、実家や親戚の仏教の宗旨、あるいは、先祖代々の宗旨のお寺で挙げる。なんかおかしくない？<br />
　私の知ってる方で、実家が真言宗だからと、真言宗のお坊さんに毎月、月参りを頼み、自ら経営する会社がうまくいくようにと会社には神棚を祀り、自分のこれから先の人生については占い師にみてもらいに行くといった具合に、もうなんでもありだ。この方の信仰心っていったいなんだろうかと疑問を抱いてしまう。<br />
<br />
     <img src="http://hbs.img.jugem.jp/20071008_427455.JPG" alt="" width="320" height="240" class="pict" /><br />
 <br />
　私の義理の母（夫、マッシミリアーノの母）は熱心なカトリックの信者だ。必ず、毎週日曜日には近くにある教会へお祈りしに行っている。<br />
　でも、母は例外的なほうで、カトリックの総本山であるヴァチカン市国があるイタリアにしては、毎週、教会へお祈りする人は少ないように思う。<br />
「あなたは、なんの信仰をしてるの？」と問われ、たいていのイタリア人は、信仰心がなくても、「カトリックの信者だよ。」と答える。<br />
　カトリック自体がイタリア人にとっての規範、文化となって生活に強く根付いている。たとえば長女が通っていた市立の幼稚園では、宗教についての授業というのがあり、その授業ではカトリックについてのみ教えるのだ。<br />
　今年の9月に長女は公立の小学校へ入学。ここでも、宗教の時間が設けられていて、その内容もカトリックの教えを学ぶのだ。<br />
　とは言え、宗教の時間を受けさせるかどうかは親が決めることができ、宗教の授業を受けない生徒はひとつのグループになって、ほかのことをして過ごしてもよいことになっている。<br />
　私たちの子供たちには、宗教の時間を受けないグループを選択させた。理由は、私たちが仏教徒だからというのではなく、宗教の時間なら、いろんな宗教について教えるべきだと思うから。<br />
特定宗教だけというところが気に食わないのだ。<br />
　私自身は、今から150年前に長松清風（日扇上人）という方が日蓮上人の教えを受け継いで開かれた本門佛立宗という法華経の教えをよりどこりにしたご信心を信仰している。<br />
　家にもご戒壇（仏壇）を祀りさせていただいているが、最近、以前より立派な新しいご戒壇をご安置させていただいたばかり。（ご戒壇開き）<br />
　そして毎日、ご宝前（仏壇）の前でお題目を唱えさせていただいているのだが、宗教はちがっても、お祈りするという行為は人間にとってとても大切なことではないかと思う。<br />
　最近、マッシー（主人）の友人の中に、一緒に私たちと拝むようになった人がいる。最初は宗教自体にまったく興味がなかったのにもかかわらずである。<br />
　世間では、仏壇イコールご先祖様のお祀りする場所と思い込んでいる人が多い。本来は、自分自身の修行の場所なのだ。<br />
　拝んでいると、心が洗われるような気持ちになる。家族のため、人のためにご祈願させていただく場があることがありがたい。そういう意味で祈りの場こそ私の憩いの場なのだ。<br />
　イタリア人である夫の友人の中にもそのようなかたちの信仰に目覚めはじめた人が出てきたのは、私にとってうれしいことだ。<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>お好み焼き</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=50" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=50</id><issued>2007-09-16T00:29:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:26:02Z</modified><created>2007-09-15T15:29:00Z</created><summary>　週に２回はご飯を炊いて和食を作るのだけれど、２、３ヶ月に一度、食卓にカセットコンロをセットし、鉄板をのせ、お好み焼きを作ることもある。
　お好み焼きを作るたび、私が中学、高校生の頃、よく両親、姉妹と知り合いのおばさん
がやっているお好み焼き屋さんへ食...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　週に２回はご飯を炊いて和食を作るのだけれど、２、３ヶ月に一度、食卓にカセットコンロをセットし、鉄板をのせ、お好み焼きを作ることもある。<br />
　お好み焼きを作るたび、私が中学、高校生の頃、よく両親、姉妹と知り合いのおばさん<br />
がやっているお好み焼き屋さんへ食べに行ったことと、実家で作るお好み焼きを同時に思い出す。<br />
　私たちが通っていたお好み焼き屋さんは、香風寺のご信者さんで、彼女の焼くお好み焼きは私たち家族の口に合い、さっぱりしていて、軽く、月に一、二度は通っても飽きない味であった。中でも私は、ねぎが山盛り入ったねぎ焼き、肉の筋焼きが大好きで、必ず注文していたものだ。<br />
　阪神大震災をきっかけにその方の店は全壊、年齢も当時７０歳を越えておられ、残念ながら店を閉めることになってしまった。　<br />
　あれからいろんなお好み焼き屋さんへ足を運んではみるものの、この方が作り出す味にはいまだに出会っていない。<br />
　今夜の我が家の夕食はそのお好み焼き。目の前で出来たて熱々をふうふう言いながらいただく。でも、何か物足りない。<br />
　実はこのお好み焼き、実家（香風寺）で作るお好み焼きもおいしく、私の父（福岡日雙）が得意の一品なのだ。自分で言うのもなんだが、家庭で焼かれているお好み焼きのおいしさはうちが最高！<br />
　私が作っても、どうしてもあの父のような味にならないのが不思議で、父にはいまだにかなわない。日本へ里帰りをした際には、必ず、父にお好み焼きをリクエストをして作ってもらっている。<br />
<br />
<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070916_418478.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
<br />
　実家では、鉄加工会社を経営していた知り合いの方にわざわざ、お好み焼きを本格的に焼くため、鉄板を特注したものを２０年以上経った今も大切に使って焼いている。<br />
　確かに家庭でステーキを焼くにしても、テフロンのフライパンと鉄のフライパンでのステーキの焼き上がりの味の差は断然、鉄のフライパンで焼き上げた方がおいしいに決まっている。ただ、手入れに関して敬遠されがちであるのは事実。<br />
　数年前、イタリアでもおいしいお好み焼きを焼きたいと思いたった私は、マッシー（主人）に、実家の鉄板台を想像しながら寸法を割り出して図面にしたものを渡して、鉄を扱っている店をあたってもらった。<br />
　３件目で、鉄板を特注してくれるところがようやくみつかり、幅５５センチ、厚さ５ミリ、両方に杜ってをつけてもらった図面通りの鉄板台が、１ヶ月後に我が家に届いたのだ。重さは９ｋｇあり、結構重い。<br />
　あれから、お好み焼きを何度となく焼いているが、父の焼くような味になるまでは、まだまだ焼く回数を積み重ねるしかなさそうだ。<br />
<br />
<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070916_418477.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" />]]></content></entry><entry><title>夢から覚めた時</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=49" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=49</id><issued>2007-09-02T18:31:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:26:13Z</modified><created>2007-09-02T09:31:00Z</created><summary>　

８月３０日の午後９時２０分、関西空港からミラノ経由で無事、ローマのフィウミチーノ空港へ到着。
　毎回、約１２時間の飛行時間は一睡もできない私たちだが、確実に子供たちの成長と共に里帰りの往復のストレスは徐々に軽くなってきている。
　毎回の飛行でハプ...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070916_418506.JPG" width="320" height="240" alt="" class="pict" />　<br />
<br />
８月３０日の午後９時２０分、関西空港からミラノ経由で無事、ローマのフィウミチーノ空港へ到着。<br />
　毎回、約１２時間の飛行時間は一睡もできない私たちだが、確実に子供たちの成長と共に里帰りの往復のストレスは徐々に軽くなってきている。<br />
　毎回の飛行でハプニングやアクシデントがなにかしら起こる。昨年の夏は、私のスーツケースが一ヵ月出てこず、結局イタリアへ帰る２日前に手元に届いたり、今年も懲りずに賭けのつもりでスーツケースに生ものを入れて帰国するや、これも二日後に手元に届き、生ものはゴミ箱行きとなった。（涙）<br />
　ここで、「イタリアからいったいどんな生ものを日本に持って帰るんだ？」と疑問に思われる方もおられるはず。毎回イタリアから持って買える生ものベスト３を挙げてみると、順位下から、ハム類、パスタのペースト、チーズとなる。<br />
　今回も関空からミラノへ着くや、ミラノからローマへの私たちが乗るはずだった飛行機が悪天候でもないのにキャンセルされていた。幸い、キャンセルされた飛行機の次の便に乗ってローマへ帰れることができた。預けていた４つの荷物がローマ空港で全部でてきたので、これまたラッキーとしか言いようがない。<br />
　毎回、イタリア、日本間の往復を経験してきてひとつ気がついたことがあった。マッシー（主人）の“日本へ住みたい願望”が増してきているのだ。まあ、私としては黙って見守るしかないのだが、現実を考えると子供たちが成人してマッシーが仕事をリタイヤしてから夫婦で老後を日本で過ごすという可能性は無きにしも非ずである。<br />
　マッシーは、こちらへ戻って翌日からすぐに仕事復帰。そんな中、私たち家族は帰宅から数日が経ったいまも時差ぼけが続いていて、まだ現実対応ができない状態だから、マッシーが、「イタリアではもう生活していけない！」と愚痴る気持ちもよくわかる。<br />
　９月中頃から、私も子供たちの学校の送迎やいろんなことで忙しくなってくる頃、わたしもマッシーに遅れて、「イタリアではもう生活していけない！」と叫びだすのは目に見えているのだが。<br />
　それにしても、日本から帰国してすぐにまた日本に行きたいと言い出す主人。変なイタリア人である。<br />
<del></del>]]></content></entry><entry><title>ゴールデン・ガーラ（golden gala）</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=47" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=47</id><issued>2007-07-16T11:51:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:26:24Z</modified><created>2007-07-16T02:51:00Z</created><summary>７月１３日（金曜日）、マッシー（主人）と二人でローマのオリンピックスタジアムで午後８時から開催される陸上のゴールデン・ガーラの観戦に出かけてきた。
このスタジアムはサッカー、セリエＡ、トッティー選手が所属するローマチームの本拠地となっていて、試合の日、...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070716_391636.jpg" width="320" height="240" alt="" style="float:right;" class="pict" />７月１３日（金曜日）、マッシー（主人）と二人でローマのオリンピックスタジアムで午後８時から開催される陸上のゴールデン・ガーラの観戦に出かけてきた。<br />
このスタジアムはサッカー、セリエＡ、トッティー選手が所属するローマチームの本拠地となっていて、試合の日、この界隈はいつもの渋滞に増してすごくなる。<br />
当日、チケットを手に入れようと思っても、ダフ屋から購入しないとほとんど無理らしいけれど、私にはサッカーにそれほど興味がないので他人事なのだが、その点、この日は陸上競技なので簡単に車を駐車場に置いて、スタジアム内へ。<br />
日本からは、男子４００メートル障害に為末大選手(APF)、女子５０００メートルに福士加代子（ワコール）らが出場していた。（結果は為末選手が７位、福士選手は６位。）<br />
ゴールデン・ガーラはローマで毎年、この時期に開催されており、今回の大会は、実はわたしにとって２回目の観戦になる。<br />
大会当日、感動したのが４００メートルＢ決勝のレースに両足義足のオスカー・ピストリウス（２０）＝ 南アフリカの走り。なんと、堂々の２位に入賞。<br />
私が楽しみにしていた種目は男子１００メートルで、世界記録保持者のアサファー・パウエル（ジャマイカ）の故障からの復活戦と、男子幅跳びと三段跳びだった。<br />
が、走り幅跳びを目の前で観戦中、とんでもないハプニングが。やり投げのある選手が誤って投てきのコントロールをミス。同時進行していた走り幅跳びで、跳躍の順番待ちをしていたフランスの選手の背中に命中してしまったのだ。近くにいた他の跳躍の選手がそれをみて慌てて、やりを抜き、観衆はしばらく総立ちとなった。<br />
私もしばらく口が開いたままになり、ふっと我に帰ってから、「早く、救急車は！」と叫んでいた。<br />
しばらくして、救急車がかけつけ、心の中で御題目を必死に唱えながら見送った。<br />
「命には別状ありませんので、みなさん、競技に戻りましょう。」とスタジアム内に放送が流れてほっとしたけれど、こういうアクシデントもあるものだなと思った。<br />
（翌日のテレビのニュースで、この選手のやりの傷の深さは３センチ、幸いにも軽症で、１４日にフランスに帰国したとの事を知り、一安心。）<br />
午後１０時半過ぎ、競技が終わるのを待たずにスタジアムを出て、サブグラウンドへ行ってみる。ワコールの福士選手がおられ、思わず、「福士さん！お疲れ様でした！」と手を振ってしまった。福士さんは私の声に気がつき、「いったいだれだ？」という感じで軽く会釈を返してくれた。<br />
私の従姉妹の太田りかちゃんが昔、ワコールの選手として、５０００メートルなどで活躍していたこともあって、ワコールの選手は特に私にとって身近に感じたからだ。<br />
久しぶりに、りかちゃんの事を思い出しながら帰路に着いた。<br />
「元気にしているかな？今年の夏、帰国したら会えるといいな。」<br />
]]></content></entry><entry><title>レゴ愛好会</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://hbs.jugem.cc/?eid=46" /><id>http://hbs.jugem.cc/?eid=46</id><issued>2007-07-13T22:57:00+09:00</issued><modified>2010-02-07T21:26:36Z</modified><created>2007-07-13T13:57:00Z</created><summary>　先週の土曜日の早朝４時、レッコという町にむけて家族４人、車で家を出発。
　マッシーのレゴ遊びに再び火がついたのは２ヶ月前。合気道に通う道場で怪我をして、ケイコができなくなったのが火種になったらしい。
　３週間ほど前、急に、「ミラノの近くでレゴの集まり...</summary><author><name>maki</name></author><dc:subject>makiのイタリア通信</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070713_390662.jpg" width="320" height="240" alt="" style="float:right;" class="pict" />　先週の土曜日の早朝４時、レッコという町にむけて家族４人、車で家を出発。<br />
　マッシーのレゴ遊びに再び火がついたのは２ヶ月前。合気道に通う道場で怪我をして、ケイコができなくなったのが火種になったらしい。<br />
　３週間ほど前、急に、「ミラノの近くでレゴの集まりがあるから家族で見に行こう！」と言い出した。<br />
　「えっ！ローマから６００キロも離れてるの？遠すぎるでしょ。往復だけで休日が終わってしまうわ。やめようよ。」<br />
　旅路を想像しただけで疲れてしまい、即反対。というか、正直な話、レゴに興味のない私にはまったく無意味なドライブだ。<br />
　でも結局でかけることになり、旅の途中、マッシーが仮眠を２０分ほど取っただけで一人で運転。無事、会場となる小学校に午前１１時頃到着。<br />
　レッコという町、正確にはロンバルディア州のレッコ県。ミラノすぐ近くと思っていたら、ミラノからまだ先で１時間ほどかかってしまった。距離的にはミラノから北に５０キロほどのところ。<br />
　会場に入るとマッシーにはＴシャツが無料で渡され、そのＴシャツには、“italian lego user group”と印刷してある。訳して、“イタリアのレゴ愛好会”。発足してから１０年ほどになるという。<br />
　知らなかった！なんとマッシーは２ヶ月前からのこのグループの新メンバーになっていたのだ。<br />
　会場に入ってすぐの廊下からレゴ作品が並べてあり、体育館にもびっしりと並んでいた。<br />
　その作品の中には数ヶ月は組み立てるのにかかるのではと思わせる作品が多々あり、またコンピューターでプログラムを組み込んだ動くレゴも。<br />
　「すごすぎる！」レゴオタク、いえいえ、レゴ愛好会のメンバーの方々はただものではない。メンバーの顔ぶれはイタリア人ばかりと思いきや、スイス人、ドイツ人の姿も。<br />
会場にはワークショップも行われていて、私たちは午後５時からのその日の最終の部に参加。ほとんど進行は、主催者とマッシーの意見交換で流れていき（マッシーの意外な面をここで発見）、１時間の予定が４５分も延長する次第。<br />
　その夜の宿泊先は、会場から２０分ほど山へ上っていった標高１３５４メートル地点の夫婦で経営されている小さなホテルへ。そこで飼われている犬にも暖かく迎えられた。<br />
　翌朝、ホテルの回りを軽く散歩してから、ホテルを出て会場へむけて下る途中、ここはトレッキングが盛んらしく、ひっきりなしに上がってくる車とすれ違った。みんな、今から山へ登るのだろう。<br />
　会場につかの間戻り、日中の渋滞を避けるため、レッコを午前９時半に出発。午後４時にはローマの自宅へ帰ってきたから、まことに慌ただしい小旅行。時間的にもきついかったけれど、マッシーのお付き合いだから仕方がない。<br />
　レッコで来年もこの催しが開催されるらしい。マッシーと子供たち、来年は自分たちも作品を作って参加すると意気込んでいる。私はトレッキングの回路を研究しておかないと割が合わない旅になりそうだ。<br style="clear:both" /><br />
<center><img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070713_390663.jpg" width="240" height="320" alt="" class="pict" /><br />
<br />
<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070713_390664.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
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<img src="http://hbs.img.jugem.jp/20070713_390665.jpg" width="320" height="240" alt="" class="pict" /><br />
</center>]]></content></entry></feed>
